「なんの修羅場だよ………?」
冷蔵庫から取り出したスポーツ飲料を一口飲んでから息をつく。
目の前の液晶ディスレイに映し出されているのは、メッセンジャー系統のアプリケーション。
そこに登録されているいくつかのうちでもっとも使用頻度が高い名前、「八神冬馬」。
冬馬は、前にもいったように若くして一流の情報屋だ。
その情報収集能力はずば抜けて高く、またその情報の信頼性も高いことで、業界では有名らしい。
たかが一介の高校生が何故そんな情報基盤を持っているのかと聞かれると話が長くなるので、ここでは止めておこう。
また情報屋である一方、俺のサポートとしての役割も担っていてくれる。
局から来た仕事の下調べなどにはじまり、任務中の指示などを飛ばすこともあり、またその見返りとして、
俺が冬馬の情報屋としての仕事を手伝う(主に実力行使の面で)というギブアンドテイクな関係だが、やはり腐れ縁の悪友なので、
ビジネスライクな冷え冷えとした関係ではない。
そんな冬馬が、四姫のこれから一定期間の処遇に関して、「修興の中等部」に編入させるということを提案してきた。
これは、四姫がこれからどちらの道を選ぶにせよ、社会に早期復帰できるための措置だ。
要するにあんまり引きこもらせておくと、普通の生活に戻るにしても、俺たちと同じ側にくるにしても、
復活したときに、周囲と打ち解けにくくなってしまう危険性があるから、とりあえず目の届く範囲で学校に行かせようということである。
また修興は、少々特殊な学校であるので、安全面としても問題はない。
故に、詳細な編入手続きなどを冬馬に聞こうと思い、パソコンを立ち上げてメッセンジャーを開いたわけだが…………
今、冬馬の名がある欄には「修羅場中につき音信不通!!」という書置きメッセージが表示されていた。
冬馬は情報屋の仕事のために、学校にいる間もモバイルを使って情報収集をしている。
家に帰ってからは、大量のディスプレイに流れる文字や数値のにらめっこしている。
なので、冬馬が家にいるときは、携帯に連絡をするより、こちらのメッセンジャーで呼びかけたほうが、早く確実に連絡がつく。
今の冬馬の状態はオンラインなのだが、応答できない表示になっており、「修羅場中」の文字がそこで踊っている。
携帯に電話をしてみるが、案の定でない、というか電源すら入っていない。
「修羅場ってなんだ……?」
修羅場から想像するシチュエーションといえば、魔導師としては死地くらいしか思い浮かばない。
冬馬の業界でなにか大事件があったんだろうか?だとしたら、メッセンジャーに書置きしている余裕などは無いだろう。
この両者でないとすれば、あとは何だろう、複数の女の子に詰め寄られているとか?
「いやいやいや、それは無いな」
あの冬馬に限ってそれはない、というか家にいるという状況ではそれは起こりえないだろう。
「ん……?そういえば………」
今日、昼休みに冬馬はしきりに携帯と、モバイルがわりのノートパソコンをいじっていた。
それは別に珍しい光景ではないのだが、今日は少し違った。冬馬のノートPCに、板のようなものと、タッチペンのようなものがつながっていたのだ。
いつもならばそんなものはなく、キーボードをものすごいスピードでたたいているのだが、その代わりに今日はそのタッチペンを板の上に走らせていた。
ペンを走らせながら、
「このオンリーには参加する気は無かったんだがなぁ……まぁ冬は描いてないし……このサークルには借りがあるからこの原稿は落とせないな………」
とかなんとか口走っていた気がする、飯を食い終えて滅茶苦茶眠かったのでうろ覚えだが。
あの言葉の意味は少しも理解できないが、おそらくあれが修羅場の要因なのだろう。
こうなれば、明日学校で顔をあわせるまで連絡はつかない。
とりあえずこの編入云々に関しては早めに話をつけてしまいたいので、俺はある人に電話をすることにした。
携帯の電話帳を開き、「八神冬馬」の次にある名前の番号をコールする。
――――――――
「もしもし?」
かけた相手は、1コール目が鳴り終えるかどうかで出た、驚くべき速さだ。
「ん、夜分にすまんな、秋葉、俺だ」
「珍しいね、こんな時間に電話なんて」
電話口の秋葉の声は心なしか眠そうだ。
時計に目をやるとあと一時間弱で明日になりそうな時間だった。
「あぁ、ちょっと急ぎで聞きたいことがあってな。もしかして寝てたか?」
「ううん、勉強しててちょっとうとうとしてただけ」
うとうとしていた割にはものすごいスピードで電話に出た気がする。
「机に突っ伏して寝るのは骨格の発達によくないぞ」
「うちに泊まるときに、いつも本片手にその状態になってた朔兄に言われたくないなぁ」
秋葉があきれたようにため息をつく。
「俺はいいんだ、男だから」
「意味がわからないよ」
「女は発達期にしっかりとした骨格を作っておかないと、骨盤がゆがんでいろいろ大変だぞ?子供産むときとか」
「…………思春期の女の子にそんな説明をするかな、普通」
どうやら気に障ったらしい、心なしか声が不機嫌そうだ。
この程度でもセクハラになるとでも言うのだろうか?加減が難しい。
「いや、そんなつもりはまったく無いんだが。そもそもな、お前が将来結婚するかどうか知らないが、その辺の正しい知識を身に着けておかないと大変なのであって、
これは学校が教えるべきものだが教わることはないし、家族に教わろうにも春実さんは天然で教えてくれそうにないし、大将や冬馬は論外だからこうして俺が兄としてお前に教えてやろry」
「あー、はいはいわかったわかった、朔兄は知識ばっかで乙女心がわかってない」
「セクハラになるというのか?俺は学術的な話をしているのであってそんな邪な感情は一切ないぞ?」
「とにかく気をつけた方がいいよ?学校でもその調子だったら引かれちゃうって」
「そのくらいの分別はあるさ、だいたいお前じゃなかったらこんな話はしない」
「なにそれ、私は女に見られてないってこと?」
「そりゃ妹分を女として見てたら変態だrぶっ!!」
だろう、といいかけたところで黒板を引っかくような異音が耳をつんざく。
「………お前………俺がその音は人一倍だめだって知ってるだろ………」
「いや、手元にあったからつい」
「なんで手元に黒板があるんだよ!!」
「正確にはただのガラスだけどね、たまにかかって来る「しつこい電話」撃退用」
「俺の電話は「しつこい電話」なのか?」
「え?あ、いや、そういうことじゃなくて!」
なにやらいきなりあたふたして自爆したので、話を本題にもどすことにする。
「で、本題だが」
「えっとね、朔兄がしつこいんじゃなくて!」
「だから本題だっつーの」
なにを錯乱しているのだろうか。
昔から秋葉はしばしばこういった状態になることがあるが、その理由はよくわからない。
不思議に思って、翠椋亭で修行しているときに、ふと秋葉たちの母である春実さんに聞いてみたら、
「朴念仁なのはお父さんに似たのねぇ」
とこれまたよくわからないことを言われた。親子でよくわからないのはもはや遺伝だろうか。
俺の親父がどう朴念仁だったのかには興味があるが、両親はただいま海外出張中なのでそれを聞くことはできない。
ともかく本題に入らないことには始まらないので、秋葉に深呼吸を促す。
「………ごめん、取り乱した」
「気にするな、いつものことだ」
「で、なんの用なの?」
「あぁ、修興の編入手続きについて聞きたいことがあってな」
秋葉は、俺や詩織、冬馬とは違い、中等部から修興に通っている。
つまるところ俺たちよりも修興に関しては詳しく、また優等生で通っている(らしい)上、
生徒会の執行機関に在籍しており、教師陣とも懇意なので、下手をすると冬馬に聞くよりも早く、
わかりやすい説明を受けられるというわけだ。
「編入って、中等部の?」
「お前に聞いてるんだからそれしかなかろう?」
「それはそうだけど、朔兄が中等部に編入手続き………?」
「あぁ、覚えてるだろう?昨日連れて行った――」
「古宮四姫、ね」
八神の家の人間は一条が魔導師の家系だという事実を知っている。
無論秋葉も例外ではない。
故にそのあたりの理解はすでに得られており、よほどのことが無ければ詮索してこない。
この信頼関係を俺は心地よく思っており、八神の人々のやさしさには頭があがらない。
「まぁ古宮の令嬢ならゴリ押しで入れると思うけど、一応試験はあるよ?」
「それは問題なかろう、秋聖では優秀な生徒だったらしいからな」
「あぁ、あの子秋聖だったんだ、なら大丈夫だね」
四姫が元々通っていた秋聖女学院がお嬢様学校であることは既知の事実だが、
秋聖はお嬢様学校にありがちな、「作法を重視して勉学は最低限」という体制に反して、
その偏差値の高さでも有名な学校である。
それに対して修興は偏差値では秋聖に二歩ほど及ばない。
編入試験というのは往々にして入試より難しくなるものだが、秋聖で優秀という評価を受けた四姫ならば問題は無いだろう。
「あと魔法がらみだから一応あの婆さんに話を通して置いてくれると助かるんだが」
「OK、理事長なら明日はいるはずだから」
そして俺は秋葉に、事務上の手続きの手順などを一通り教えてもらった。
途中から雑談になってしまい時間を食ってしまったっていうか何であんなに話題が次から次へと出てくるんだ女って生き物は
携帯の電話料金は高いんだぞこの野郎、みたいな思考に陥りかけたところで時計を見るといつの間にか明日になりかけていた。
「くぁ………」
「あれ、朔兄お眠?」
「あぁ、ここ二日ばかり三時間以上寝てないからな」
「そういえばもうこんな時間だね」
「そうだな、そろそろ寝るとしよう。というか寝かせてください」
「じゃあ週末までに根回しを済ませておけばいいんだね?」
「悪いな、頼む」
「全然、ちゃんと埋め合わせしてもらえればそれでいいし」
「ふむ、それは追々考えるとしよう」
「じゃあお休み、朔兄」
「お休み」
通話が途絶え、一定感覚のトーン音がスピーカーを奮わせる。
長電話のおかげで電池残量が心もとないので、充電器に差し込んでから俺は身をベッドに投げ出した。
手元のスイッチで明かりを消し、毛布に包まると、程なく睡魔がまぶたに抗いがたい荷重をもたらす。
俺はそれに抵抗することなく、数日ぶりに長く深い眠りについた。
―――――
それから週末までの数日間は、特筆すべきこともなく過ぎていった。
睡眠リズムは秋葉と長電話をした日から正常に戻ったし、四姫の訓練は順調この上ない。
四姫はやはり俺の見立てどおりセンスがあり、意識している間は完全に魔力の放出を絶つことに成功した。
ほんの数日でこれほどの成果をあげられるというのは正直なところ驚きだったが、このペースでいくと、
修興の編入試験を受けるころには意識せずとも二十四時間、垂れ流しをとめることができるようになるだろう。
あと、俺たちにとっては特別なことではないのだが、冬馬が学校に来なくなった。
他人から見れば、入学一週間そこそこで何をやっているんだと言いたくなるだろうが、
冬馬と付き合いの長い人間、少なくとも一年以上付き合っていれば、この急性不登校は珍しくないということを承知している。
急性というくらいだから突発的で、一定の周期、主に夏休みと冬休み前の期末テスト後から終業式の狭間に、忽然と消えるのだ。
そのまま休みに突入してしまうのだから、中学の時から通知表などはよく俺が受け取って、師匠たちに手渡していた。
無論、この法則に当てはまらないイレギュラーも存在し、今回がその一例なわけだが、この冬馬の習性を他人、
特に教師陣に説明するのは骨が折れる。なにせ俺ですらあいつが学校を休んでなにをしているのかわからないのだから。
いつだったか、思い切って聞いてみたことがある。しかしあいつの返した答えは、
「あんまり踏み込まないほうがいい世界に旅立っているんだよ、丸腰できたら撃ち殺されるぜ?」
という不可解な台詞だった。
とにもかくにも、あの修羅場メッセージを見た日以来、冬馬は学校に来ていない。
そんなわけで日曜日、俺は四姫と一緒に修興学園中等部に赴いた。